特別対談(1/2):義歯治療の常識が変わるー昭和医科大学の古屋教授が語る難症例とは
ーー義歯における難症例の定義が変わってきている
「義歯が安定しない理由として、形態的な問題だけでは説明しきれない患者さんが増えています。」
そう語るのは、昭和医科大学歯学部 口腔健康管理学部門の古屋純一教授だ。
30年以上にわたり義歯診療・教育・研究の第一線で活躍してきた古屋教授だが、超高齢社会となり20年が経過した今、"義歯診療で求められる視点そのものが変化している"と話す。
(本シリーズでは、高齢者歯科学・口腔機能管理学の第一人者である古屋教授をお迎えし、全2回にわたって専門医同士の対談を元に、義歯診療の本質と臨床現場で培われた知見をお届けします。)

| 1.古屋教授が語る「難症例」の新常識
徳永先生:
「長寿社会になり、義歯の難症例が複雑になっているように感じます。いかがでしょうか?」
古屋教授:
「難症例というと、昔は"顎堤吸収が高度であること"や"フラビーガムによって維持が得られないこと"など、形態的な問題が中心でしたよね。しかし現在は、それだけではありません。」
「例えば、下顎位の決定が難しい患者さん、口腔乾燥や口腔機能の低下によって義歯を十分に使いこなせない患者さん、抜歯を遅らせたことによる顕著な顎堤吸収を伴う患者さん、認知機能の低下などさまざまな要因が絡んでいます。」
徳永先生:
「つまり、義歯そのものに問題があることに加えて、患者さんが義歯を使いこなせないこと、オーラルフレイル、口腔機能の低下などにより、難症例につながっているケースが増えている。」
「"義歯が合わない"だけでなく、"義歯を使えない患者"が増えている。 超高齢社会において、義歯診療に求められる視点も変わりつつあるということですね。」
ーー古屋教授は、義歯だけを見るのではなく、"患者さん一人ひとりの身体機能や生活背景も踏まえて評価する"ことが、重要になってくると言います。
| 2.「やり方」ではなく「なぜ」を理解する
徳永先生:
「教育・研究・臨床の第一線で活躍されている古屋教授ですが、義歯診療を学ぶ歯科医師へ伝えたいことは何でしょうか?」
古屋教授:
「学生にもよく話すのですが、術式や手技だけを覚えても、本当の意味での応用はできません。」
「印象採得にも、咬合採得にも、筋圧形成にも、それぞれ目的があります。なぜその操作が必要なのか、"口腔の構造をどのように回復したいのか"、"最終的に、どのような義歯を患者さんへ提供したいのか" を理解することが重要です。」
ーー古屋教授が繰り返し強調したのは、「本質を理解すること」の重要性でした。
古屋教授:
「本質を理解していれば、材料や方法が変わっても対応できます。」
「例えば、大学のような教育機関ではコンパウンドによる筋圧形成を学びますね。しかし、それは"コンパウンドだから良い義歯ができる"という意味ではありません。辺縁形態をどのように決定するかという考え方を学ぶためです。」
「どのように辺縁形態を決定するのかというプロセスを考え、ゴールを理解した上で治療すれば、訪問診療などでコンパウンドを使用しない場面でも、治療の軸はぶれません。」
| 3.十分に経験しないまま、臨床に出る時代
徳永先生:
「現在の歯学教育については、どのように感じていますか?」
古屋教授:
「学生期間や研修歯科医の際に、義歯症例を十分に経験しないまま臨床へ出る先生が増えています。都市部では、高齢患者さんを診る機会が限られ、勤務医時代に義歯をほとんど製作しないまま、自院を開業されるケースも珍しくありません。」
「しかし、日本では65歳以上の高齢者が総人口の約3割を占めており、義歯患者さんの数がそうは減らないでしょう。経験が少ないから義歯は診ないという選択が出来ない時代になっています。」
徳永先生:
「義歯診療は一部の専門医だけが担うものではなく、一般臨床に携わる歯科医師にとって重要な診療分野であり、身につけるべき技術の一つとなっていますね。」
| 4.患者満足につながる義歯診療のヒント
徳永先生:
「これからの義歯診療では、どのような視点が重要になるのでしょうか?」
古屋教授:
「超高齢社会では、舌の筋力低下や唾液分泌の減少、認知機能の変化など、多くの要因が義歯の使用感に影響します。どれだけ精密な義歯を製作しても、患者さん自身が使いこなせなければ、その義歯は十分な機能を発揮できません。」
「だからこそ私は、『この義歯は合っているか』だけではなく、『患者さんはこの義歯で食べられるか』という視点が重要だと考えています。」
ーー対談の中で古屋教授から語られたのは、医療の本質を突いた一言でした。
古屋教授:
「義歯を作ること自体が目標ではありません。その義歯で患者さんが食べられること、それが本当のゴールです。」
「認知症の患者さんや要介護高齢者、高度な顎堤吸収を伴う患者さんでは、理想的な維持を得ることが難しい場合もあります。患者さんが安全に食事を楽しみ、QOLを維持できるのであれば、義歯安定剤も治療の選択肢の一つとして考えてよいでしょう。あらゆる選択肢を視野に入れ、食事を楽しみQOLを高めること。それこそが医療者に求められる最善の追求です。」
臨床的な選択肢の一つとして古屋教授が提示したのは、『義歯安定剤』の活用でした。
| 5.患者さんの本音は、義歯安定剤の市場規模から見えてくる
徳永先生:
「義歯安定剤は、実際にはどのくらいの患者さんが使われているのでしょうか?」
古屋教授:
「市場規模で考えると、かなりの数の患者さんが日常的に使用されているはずです。しかし、診療室で患者さん自身から『使っています』と話されることは、それほど多くありませんよね。」
「患者さんの中には、『先生に怒られるのではないか』『義歯が合っていないと思われるのではないか』という気持ちを持たれている方もいらっしゃるのではないでしょうか。」
徳永先生:
「私も同じ印象です。問診の中でこちらからお聞きすると、『実は使っています』とおっしゃる患者さんが少なくありません。」
「つまり、患者さんを良く理解するためには、相談しやすい環境を作れているかが重要な視点だと思います。"困ったら相談してください" 、"義歯安定剤を使っていることも、遠慮なく教えてください"という姿勢を示すことで、患者さんとのコミュニケーションも変わってきます。」
「義歯安定剤を使うこと自体は、問題ないと考えていますか?」
古屋教授:
「昨今では『使うべきではない』という考え方ではなく、適切に診察・調整を行ったうえで、必要な患者さんには適切に使用してもよいという考え方へ変わってきています。」
「以前は義歯を専門とする歯科医師ほど、義歯安定剤に否定的な考え方を持つ傾向がありましたね。」
「その背景には、患者さんが不適合な義歯のまま義歯安定剤を自己判断で長期間使い続け、本来であれば調整や新製作が必要な義歯を、長期間使用してしまうケースがあったからです。」
「その結果、本来の適合や咬合の問題を見逃し、粘膜への負担も大きくなってしまい、さらなる難症例になってしまうのです。」
徳永先生:
「問題だったのは、義歯安定剤そのものではなく、患者さんが不適合な義歯を自己判断で使い続けてしまうなど、使用と管理方法が問題だったわけですね。」
古屋教授:
「その通りです。義歯安定剤の使用は不適合な義歯を許容するための代替法ではなく、良い義歯をさらに活かすための補助的な選択肢として考えることが重要です。とはいえ、"義歯安定剤を一括りに使用していい"とは言い切れません。」
| 6.義歯安定剤のクッションタイプを推奨しにくい理由
徳永先生:
「すべての義歯安定剤が同じように使えるわけではないのですね。注意点を教えていただけますか?」
古屋教授:
「私は特に、クッションタイプについては否定的に考えています。」
「クッションタイプは、義歯の内面に厚みを加えて隙間を埋める製品ですが、その厚みを患者さん自身が調整することになります。」
「厚さや位置が適切でなければ、義歯の位置や咬合関係が変わり、顎堤への負担が大きくなる可能性があります。」
徳永先生:
「患者さんとしては『動くから足しておこう』という感覚かもしれませんが、それが結果として咬合を変えてしまうことがありますよね。」
古屋教授:
「まさに、そこが重要です。クッションタイプを誤って使用すると、患者さん自身がリラインを行っているような状態になってしまうことがあります。」
「義歯の適合や咬合の診察・調整は、歯科医師が責任を持って行うべきものです。患者さんの自己判断で隙間を埋めるような使い方には注意が必要です。」
ーー厚さや位置が適切でなければ、クッションタイプの義歯安定剤は
・咬合関係が変化する
・顎堤への負担が増える
・義歯の位置が変わる
・本来必要な調整のタイミングを逃す
といった取り返しのつかないリスクが生じる可能性がある。
古屋教授は、歯科医師が義歯と義歯安定剤の使用を適切に管理すべきであることを強調しました。


記事後半▶︎
特別対談(2/2):技術力だけでは、患者は救えないーデジタル時代における歯科治療の本質
記事後半では、多くの歯科医師が一度は悩むテーマ「臨床で選択肢となる義歯安定剤とは?」を取り上げます。義歯のプロフェッショナルである古屋教授と徳永先生のお二人に、実践的な視点から「義歯安定剤の使いこなし」について深く掘り下げていただきます。
※本記事は、Haleon社の協力を得て、古屋教授と徳永先生による対談をもとに構成されています(2026年7月Interview)。義歯治療の基本から最新の考え方まで、日々の臨床に役立つ示唆が含まれ、「患者中心の診療という視点」を臨床に活かしていただければ幸いです。
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| ドクターズプロフィール

古屋純一(ふるや じゅんいち)
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昭和医科大学 歯学部 口腔健康管理学講座 口腔機能管理学部門 主任教授
昭和医科大学 大学院歯学研究科 口腔機能管理学分野 教授
1996年東京医科歯科大学歯学部卒業。同大学院高齢者歯科学修了後、岩手医科大学、ハーバード大学、東京医科歯科大学、昭和大学で歯学部の教員として勤務。2023年に口腔機能管理学の主任教授に着任。高齢者の義歯と嚥下を専門とし、オーラルフレイルや口腔機能低下症、摂食嚥下障害、義歯を含めた統合的医療に向き合っている。

徳永 淳二(とくなが じゅんじ)
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日本抗加齢医学会 専門医
日本老年歯科医学会 認定医
東京医科歯科大学を卒業後、同大学院口腔機能管理学分野を修了。多岐にわたる事業を展開しながら、東京科学大学歯科同窓会の学術委員長として、AIの認識を読み解くためのITプロジェクトを毎月開催している。
| 企画協力・協賛

・ヘイリオン・ジャパン株式会社 (LINK)
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医療者TERRACE 編集部
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